2008年10月11日

イノセント。

ぼくは言った。

「信じるものがあるんだとしたら、それ以上に必要なものなんてないんじゃないか。
 それ以上に何か必要だとしたら、それは信じることではなく、求めることなんじゃないか。」

人は真実の中に本当を見つけようとして、それができなくて不安になる。
たくさん言葉を持っている代わりに、人は目に見えないものをカタチにするのが苦手だから、それで触れられる何かしらを自分の手に握り締めて、どうにかそれが正しいんだと納得する。

けどそれだって、人間の作り出したもので。
本当のことなんて、少なくともひとりにつきひとつは存在してしまう。
言い方を変えるなれば、人がいる分、いくつだって本当はある。
下手したらひとりふたつとかあるしね。それはもう、果てしない数だよ。

だけどぼくは人が作り出したたくさんの「本当」の、素晴らしさも知っている。

それがどんなものであれ。
こんなにも複雑に入り組んだ、自らでさえ理解できないほどの不可解な思考回路が何かを作り上げるという事は、つまるところ自己を投影するための努力をした結果がこの世に現れたという事で。
この世に命以外の何かを敢えて誕生させてしまう人間の愚行ときたら、それはそれは素晴らしい無駄な作業ではないか。

そういう無駄なことができるのが、人間のすごいとこだとぼくは思うんだ。

で、例えばそれを、心から信じられるとして。
もうそれで充分じゃないかと、ぼくは思う。

異なるものを嫌う必要もないし、排除する必要もない。
自分が何かを信じられることを、至上の幸福だと思えるのであれば、間違っていると思われる他者の愚行をも、温かく見守ればいいんじゃないかと思うわけだ。
もしくは見ないふりをすればいい。あまつさえ責めたりする必要はまったくない。
だって何もかも、ただ生きながらえるという目的の前には、全てくだらない無駄な行為なんだもの。

他者がいることでしか成り立たない真実なんて美しくないし、その逆に他者を否定しなければ成り立たない本当なんて、歪んでしまっている。
命を奪ったり憎んだりしながら存続する想いは、きっと存在するために存在するという、最も非生産的なものに摩り替わってしまっているんじゃないかなあ。

ぼくは人の手が作り出したものが好きだ。
だからそれはいつまでも、ものであるべきだと思うんだ。


いくつもの夜を乗り越えて、ぼくはいつだって大事なものが何なのかわからずにいる。
何が大切なのか、何を信じたらいいのかわからないぼくが、何を言い出すんだとキミは笑うかもしれない。


でも、違うんだよ。
ものは人が作り出したもので、人は人でしかないんだ。
だからぼくはぼくが何なのかを見つけられなくているだけなんだ。
何も作り出せないぼくは、いったい誰なんだろうってね。


人のこころはいつまで何かを作り出せるだろうか。
いろんなものを作ってしまったから、作るものがなくて出来たものに固執するようになったのかもしれないね。


また雨が降ってきた。
もう傘はあるから、ぼくは「雨降らないマシーン」でも作ろうかしらね。
あと茶碗蒸しが食べたいなぁ。
それは自分では作れないから誰かに作ってもらわなきゃな。
posted by マタロコ at 14:05| Comment(2) | ■ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする